「1979年生まれあるある」と検索されたあなたは、ご自身が生きてきた時代を懐かしく振り返りたい、あるいは同世代の方がどのような経験をしてきたのか、深い共感を求めているのではないでしょうか。
1979年がどんな年で、どのような流行語が飛び交い、どんなものが流行ったものとして記憶されているのか、鮮明に思い出したいと思っているかもしれません。また、ご自身の特徴や干支、性格の傾向に加え、キャリアを考える上で欠かせない履歴書作成で迷いがちな中学、高校、大学卒業年を確認したいという、実用的な目的をお持ちの方もいるでしょう。
この記事では、1979年生まれの方々が中学時代に口ずさんだ流行った歌や、仲間と集まれば必ず歌ったカラオケの懐かしい曲、そして今も心に響く青春ソングまで、音楽の思い出を深く掘り下げていきます。
さらに、同学年にはどのような有名人や芸能人、特に憧れの的であった美人女優やモデル、そして「黄金世代」と呼ばれたプロ野球、サッカー選手がいたのかも、詳しくご紹介します。
この記事を読めば、あなたの記憶の断片が繋がり、同世代との絆を再確認できるはずです。
- 1979年生まれを取り巻く激動の時代背景と世代としての深い特徴
- 当時社会現象となった文化や音楽、今なお愛されるヒット商品
- 同学年で時代を彩った有名人や伝説的なスポーツ選手たち
- キャリア設計や履歴書作成に役立つ正確な学年・卒業年度の情報
世代で振り返る1979年生まれあるある
- 激動の時代!1979年はどんな年?
- 「ナウい」も登場した当時の流行語
- 穏やかで優しい?特徴・干支・性格
- 履歴書で確認!中学・高校・大学卒業年
- インベーダーなど懐かしい流行ったもの
激動の時代!1979年はどんな年?
1979年(昭和54年)は、日本と世界が大きな地殻変動の最中にあった、まさに「激動」と呼ぶにふさわしい年です。この年に生を受けた方々は、変化と緊張感が同居する時代の空気を吸って育ちました。
社会経済に最も大きなインパクトを与えたのは、イラン革命に端を発した第二次石油危機(第2次オイルショック)です。原油価格の高騰は世界経済を揺るがし、日本でも物価が急上昇しました。政府は省エネルギー対策を強力に推進し、夏には半袖スーツである「省エネルック」が推奨され、冬には暖房の設定温度を低く抑えることが呼びかけられるなど、国民一人ひとりがエネルギー問題を意識せざるを得ない状況でした。
また、外交面では、日本では初となる第5回先進国首脳会議(東京サミット)が6月に開催され、大平正芳首相が議長を務めました。これは、日本が国際社会において主要な一員として責任を担う存在であることを世界に示した重要な出来事です。
教育分野においても、歴史的な転換点を迎えます。国公立大学の入試制度として、現在の大学入学共通テストの礎となった「大学共通第1次学力試験」が初めて実施されました。これにより、受験生は画一的な試験を受けることとなり、大学入試の風景が大きく変わりました。
一方で、海外に目を向けると、3月にアメリカのペンシルベニア州で発生したスリーマイル島原子力発電所事故が世界に衝撃を与えました。この事故は、原子力の平和利用に対する信頼を大きく揺るがし、その後のエネルギー政策や安全基準に関する議論に深刻な影響を及ぼしています。
1979年の主な出来事
国内外で、後世に多大な影響を与える重要な出来事が数多く起こりました。
- 国内:第二次石油危機による物価高騰、初の東京サミット開催、大学共通一次試験の開始、プロ野球の江川卓をめぐる「空白の一日」事件
- 国外:スリーマイル島原子力発電所事故、マーガレット・サッチャーが英国初の女性首相に就任、イラン革命
- 文化:国民的アニメとなる『ドラえもん』(第2作)放送開始、ソニー「ウォークマン」発売で音楽文化が変革
このように、1979年は社会、経済、文化のあらゆる面で新しい時代への移行を象徴する出来事が凝縮されており、この年に生まれた人々が多様な価値観の中で成長していく素地が形成された時代だったと言えるでしょう。
「ナウい」も登場した当時の流行語
1979年は、言葉の面でも新しい時代の息吹が感じられる年でした。特に、その後の若者言葉のカルチャーに大きな影響を与えた象徴的な流行語が生まれ、当時の世相を色濃く反映しています。
中でも、この時代を象徴するのが「ナウい」と「ダサい」という対照的な二つの言葉です。「ナウい」は、英語の「now(今)」に日本語の形容詞語尾「い」を付けた造語で、「現代的で洗練されている」「今風でおしゃれ」といったポジティブな意味で広く使われました。雑誌『an・an』などが発信源となり、ファッションやライフスタイルを語る上で欠かせないキーワードとなったのです。
一方で「ダサい」は、「田舎臭い」が転じた言葉とされ、「野暮ったい」「かっこ悪い」というネガティブな意味で浸透しました。この言葉は、40年以上経った現在でも日常会話で使われるほど定着しています。
この二つの言葉の流行は、若者たちが自分たちの感性を表現するための新しい語彙を求め、独自の文化を形成し始めたことの表れでした。
その他の1979年流行語
若者言葉だけでなく、当時の社会情勢やライフスタイルの変化を映し出す言葉も注目されました。
- ハマトラ:横浜・元町(モトマチ)のトラディショナルファッションの略。フェリス女学院大学の学生などが発祥とされ、フクゾーの服、ミハマの靴、キタムラのバッグが「三種の神器」と呼ばれ、お嬢様ファッションとして一世を風靡しました。
- 熟年:それまで「老年」「初老」といった言葉で表現されていた年齢層に対し、豊富な人生経験を積み、円熟したポジティブなイメージを付与する言葉として広まりました。作家の堺屋太一氏の小説がきっかけとされています。
- ウサギ小屋:欧州共同体(EC)が発表した対日経済戦略報告書の中で、日本の住宅事情を「rabbit hutch」と表現したことが話題に。狭いながらも懸命に働く日本人を象徴する言葉として、自嘲的に使われることもありました。
- キャリア・ウーマン:男女雇用機会均等法(1986年施行)に先駆け、専門職で活躍する女性が増え始めたことを背景に生まれた言葉。女性の新しい生き方を示す象徴となりました。
これらの言葉を一つひとつ紐解いていくと、1979年が価値観の多様化が進み、新しいライフスタイルが模索され始めた、まさに時代の転換期であったことが鮮明に浮かび上がってきます。
穏やかで優しい?特徴・干支・性格
1979年生まれの人の人物像を深く理解するためには、生まれ持った性質を示す「干支」と、成長過程で人格形成に影響を与えた「世代的背景」という、二つの重要な側面から考察することが有効です。この年に生まれた方々は、表面的な穏やかさの内側に、激動の時代を生き抜いてきたことによる芯の強さを併せ持つと言われています。
干支は「己未(つちのとひつじ)」
1979年の干支は、十干が「己(つちのと)」、十二支が「未(ひつじ)」の己未(つちのとひつじ)です。未年生まれの人は、群れで穏やかに暮らす羊のイメージから、一般的に穏やかで争いを好まない平和主義な性格を持つとされています。人当たりが良く、高い協調性を発揮するため、どのようなコミュニティにおいても良好な人間関係を築くのが得意です。特に家族や親しい友人を深く愛し、その絆を何よりも大切にするという、情に厚い一面も持ち合わせています。しかし、その優しさゆえに他人の頼みを断り切れず、つい無理をして自分を犠牲にしてしまうといった、お人好しな側面もあるかもしれません。
ただし、普段は温厚でおっとりして見えても、一度「これだ」と決めた目標に対しては、驚くほどの粘り強さと忍耐力を発揮します。物事を始める前には慎重に計画を立て、着実に歩を進めるタイプであり、土壇場や逆境においてこそ、その内に秘めた真価を発揮し、周囲を驚かせるほどの底力を見せるでしょう。
性格面での注意点と課題
協調性を最優先するあまり、自分の本音や意見を抑え込み、知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでしまう傾向があります。また、人を信じやすい素直な性格は美点ですが、時には他人の意見に安易に流されてしまう危険性も。自分の心と向き合う時間を持ち、時にははっきりと「NO」と言う勇気を持つことが、健やかな人間関係を築く上で大切になります。
就職氷河期を経験した「ロストジェネレーション」
世代的な観点から見ると、1979年生まれは、バブル経済崩壊後の深刻な不況期に社会へ出た「就職氷河期世代」、あるいは「ロストジェネレーション(失われた世代)」の当事者です。厚生労働省も支援に乗り出すなど、社会問題として長く認識されてきました。
有効求人倍率が著しく低迷する中で過酷な就職活動を強いられたため、多くの方が非正規雇用を選ばざるを得なかったり、望まぬキャリアを歩み始めたりといった厳しい経験をしました。この原体験から、常に先のことを考える危機管理能力や、経済的な安定を強く重視する堅実な価値観が育まれた人が多いのが、この世代の際立った特徴です。
厳しい時代の荒波を乗り越えてきたからこその、精神的な強さ、現実的な思考力、そして何事にも動じないたくましさを、多くの人が備えていると言えるでしょう。
履歴書で確認!中学・高校・大学卒業年
転職活動や資格取得などで履歴書や職務経歴書を作成する際、「自分の卒業年って、西暦だと何年だっけ?和暦だと平成何年?」と、ふと手が止まってしまうことはありませんか。
特に、昭和から平成、そして令和へと元号が変わったことで、和暦の計算がより一層複雑に感じられるかもしれません。ここでは、1979年(昭和54年)生まれの方の学歴を、一覧表で分かりやすくまとめました。ぜひご活用ください。
誕生日が1月1日から4月1日までの方は「早生まれ」に該当し、学年は一つ上になります。その場合は、以下の表の年からそれぞれ1年を引いてご確認くださいね!
学歴 | 入学年月 | 卒業年月 | 満年齢 |
---|---|---|---|
中学校 | 1992年(平成4年)4月 | 1995年(平成7年)3月 | 15歳 |
高校 | 1995年(平成7年)4月 | 1998年(平成10年)3月 | 18歳 |
短期大学・専門学校(2年制) | 1998年(平成10年)4月 | 2000年(平成12年)3月 | 20歳 |
大学(4年制) | 1998年(平成10年)4月 | 2002年(平成14年)3月 | 22歳 |
いざという時に役立つ!便利な西暦・和暦の換算方法
暗算でもできる、簡単な計算方法をご紹介します。書類作成の際にぜひお役立てください。
- 西暦 → 昭和:西暦の下2桁から25を引く(例: 1979年 → 79 – 25 = 54 → 昭和54年)
- 西暦 → 平成:西暦全体から1988を引く(例: 1998年 → 1998 – 1988 = 10 → 平成10年)
履歴書を記入する際の重要なマナーとして、学歴や職歴の年号は、西暦か和暦のどちらかに必ず統一することが挙げられます。応募先の企業によっては指定がある場合もありますので、募集要項などを事前にしっかりと確認しておくと、より丁寧な印象を与えられるでしょう。
インベーダーなど懐かしい流行った
1979年前後は、その後の人々のライフスタイルや価値観を大きく変えることになる画期的な商品や、日本中を巻き込むほどの社会現象となったエンターテイメントが数多く登場した、まさに「文化の黎明期」でした。ここでは、1979年生まれの方が子ども時代に心を躍らせ、夢中になったであろう「懐かしい流行ったもの」を、当時の空気感と共にご紹介します。
喫茶店から100円玉が消えた?「スペースインベーダー」
1978年に株式会社タイトーから発表され、1979年に熱狂的な大ブームの頂点を迎えたのが、アーケードゲーム「スペースインベーダー」です。喫茶店に置かれていたテーブルは瞬く間にテーブル筐体のゲーム機に置き換わり、ゲームセンターはもちろん、デパートの屋上や駄菓子屋の軒先など、街の至る所にあの電子音が鳴り響いていました。
「インベーダーハウス」と呼ばれる専門店が次々とオープンし、若者たちはハイスコアを目指して列をなしました。その熱狂ぶりは凄まじく、ゲームに使われる100円硬貨が市中から不足するという異例の事態まで引き起こし、日本銀行が緊急増産に踏み切ったほど。まさにビデオゲームが一大産業となる礎を築いた、伝説的な社会現象でした。
“外で音楽を聴く”文化を創造した「ウォークマン」
1979年7月1日、ソニーが世に送り出した初代ステレオカセットプレーヤー「ウォークマン TPS-L2」は、単なるヒット商品にとどまらず、音楽の楽しみ方を根底から変えた革命的な製品でした。
それまで「音楽は室内でじっくり聴くもの」という常識を覆し、高品質なステレオサウンドをヘッドホンで屋外に持ち出すという、全く新しい文化を創造したのです。
定価33,000円と当時としては高価でしたが、通学・通勤中の電車の中や、公園でのジョギング中など、自分の好きな場所で、好きな音楽に浸れるという新しいライフスタイルは、当時の若者たちの心を鷲掴みにしました。(参照:ソニー公式サイト「TPS-L2」製品情報)
今なお愛される!子どもたちに人気だったお菓子
この時代に産声を上げ、今なお多くの人々に愛され続ける国民的ロングセラーのお菓子もたくさんあります。
- うまい棒(1979年発売):株式会社やおきんから発売された、安くて美味しくて種類も豊富な「駄菓子の王様」。当時からほぼ変わらぬ価格で、子どもたちの限られたお小遣いを支える強い味方でした。
- パイの実(1979年発売):株式会社ロッテから発売。サクサクの64層のパイ生地とチョコレートの絶妙なハーモニーが特徴のお菓子。箱入りの少しリッチな佇まいは、子ども心に特別な存在として映りました。
- うまかっちゃん(1979年発売):ハウス食品株式会社から発売された、九州地方で絶大な人気を誇るとんこつ味のインスタントラーメン。その人気は地域限定ながら、やがて全国に知れ渡り、九州のソウルフードとしての地位を確立しました。
文化で共感する1979年生まれあるある
- テレビから流れた懐かしい曲
- 中学時代にみんなが聴いた流行った歌
- カラオケで熱唱した私たちの青春ソング
- 同い年の有名人や美人芸能人
- 黄金世代と呼ばれたプロ野球・サッカー選手
- まとめ:やっぱり共感できる1979年生まれあるある
テレビから流れた懐かしい曲
1979年は、歌謡曲が円熟期を迎え、フォークソングから発展したニューミュージックが大きな潮流となるなど、日本の音楽シーンが豊かに花開いた年です。
『ザ・ベストテン』などの音楽番組が絶大な人気を誇り、家庭のテレビからは毎日のように数々のヒット曲が流れていました。今でも色褪せることのない普遍的なメロディを持つ名曲が多く、イントロを聴くだけであの日の情景が鮮やかに蘇る方も多いのではないでしょうか。
この年を代表する国民的ヒットソングといえば、やはり西城秀樹さんの「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」でしょう。ヴィレッジ・ピープルのカバーであるこの曲は、誰もが理屈抜きで楽しめるキャッチーなメロディと、両腕で「Y・M・C・A」を表現するアイコニックな振り付けで、世代を超えて日本中を巻き込む大ブームとなりました。
また、さだまさしさんの「関白宣言」は、「お前を嫁にもらう前に言っておきたいことがある」という斬新な切り口の歌詞が大きな話題を呼び、賛否両論を巻き起こしながらもミリオンセラーを記録する社会現象となりました。
そして、サザンオールスターズのバラードの名曲「いとしのエリー」は、切ないメロディと桑田佳祐さんの情感豊かなボーカルが多くの人の心を掴み、バンドの人気を不動のものにした一曲です。
1979年のオリコン年間シングルランキングTOP10
順位 | 曲名 | 歌手名 |
---|---|---|
1位 | 夢追い酒 | 渥美二郎 |
2位 | 魅せられて | ジュディ・オング |
3位 | 関白宣言 | さだまさし |
4位 | おもいで酒 | 小林幸子 |
5位 | YOUNG MAN (Y.M.C.A.) | 西城秀樹 |
6位 | カリフォルニア・コネクション | 水谷豊 |
7位 | みちづれ | 牧村三枝子 |
8位 | 季節の中で | 松山千春 |
9位 | チャンピオン | アリス |
10位 | いい日旅立ち | 山口百恵 |
これらの曲は、1979年生まれの方々が物心ついた頃に、ご両親が聴いていた音楽として、あるいはテレビから自然と耳にしていたBGMとして、記憶の原風景の一部に深く刻まれていることでしょう。
中学時代にみんなが聴いた流行った歌
1979年生まれの方が多感な中学校生活を送った1992年から1995年頃は、日本の音楽市場が史上最高の活況を呈した「J-POPの黄金期」であり、CDの売上がピークに達した時代です。この頃、音楽は単なる娯楽ではなく、若者たちのコミュニケーションに不可欠な文化そのものでした。
毎週のようにミリオンセラーが生まれ、『ミュージックステーション』や『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』といった音楽番組が絶大な影響力を持っていました。特に、テレビドラマとタイアップした主題歌は、放送翌日の学校で決まって話題の中心になりましたよね。
中学1年生だった1992年には、安田成美さんと中森明菜さんがW主演したドラマ『素顔のままで』の主題歌、米米CLUBの「君がいるだけで」が、当時の歴代シングルCD売上1位となる約289万枚を売り上げるモンスター級の大ヒットを記録しました。
また、浪人生の日常を描いたドラマ『北の国から’92巣立ち』の主題歌、浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」や、バラエティ番組から火が付いた大事MANブラザーズバンドの「それが大事」など、若者の心を鼓舞する応援ソングも広く支持されました。
その後も、B’z、サザンオールスターズ、DREAMS COME TRUE、そしてMr.Childrenといったアーティストが音楽シーンを席巻します。
特にMr.Childrenは、「CROSS ROAD」のヒットを皮切りに、「innocent world」「Tomorrow never knows」「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」など、出す曲すべてが社会現象的な大ヒットとなり、まさに時代の寵児となりました。これらの楽曲は、初めての恋愛、友人との語らい、部活動の帰り道といった、多感な中学時代の思い出の1ページと強く結びついているのではないでしょうか。
お気に入りのアーティストのCD発売日にはCDショップに走り、8cmシングルCDのジャケットを眺めるだけでワクワクした記憶、ありませんか?
お気に入りの曲を集めてカセットテープに録音し、「マイベスト」を作ってウォークマンで聴きながら通学していた人も多いはずです!
カラオケで熱唱した私たちの青春ソング
高校・大学時代や社会人になりたての頃、友人たちと集まれば自然とカラオケに行くのが定番の娯楽でした。1979年生まれの方にとっての「青春ソング」といえば、やはり90年代後半から2000年代初頭にかけてのヒット曲がレパートリーの中心になるでしょう。あの頃、マイクを握りしめて熱唱した曲は、今でも私たちの心を熱くさせます。
JOYSOUNDが発表した「世代別カラオケランキング(1979年生まれ編)」によると、現在でもこの世代が最も歌う曲には、ポルノグラフィティのラテン調のアッパーチューン「サウダージ」や、高橋洋子の「残酷な天使のテーゼ」などが常に上位にランクインしています。「残酷な天使のテーゼ」は、1995年に放送され社会現象を巻き起こしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌であり、アニメソングというジャンルの枠を遥かに超えて、一つの時代のアンセムとして多くの人に愛され続けています。
1979年生まれに人気のカラオケソング(鉄板曲)
懐かしい友人たちとの同窓会や二次会で歌えば、一瞬であの頃に戻れる、そんな魔法のような定番曲です。
- サウダージ / アゲハ蝶 – ポルノグラフィティ
- 残酷な天使のテーゼ – 高橋洋子
- 世界が終るまでは… – WANDS
- チェリー / ロビンソン / 楓 – スピッツ
- シングルベッド / ズルい女 – シャ乱Q
- Tomorrow never knows / HANABI – Mr.Children
- I LOVE YOU – 尾崎豊
- 夏祭り – Whiteberry
これらの曲は、甘酸っぱい恋愛の思い出や、将来への漠然とした不安、仲間との馬鹿げた語らいなど、青春時代の様々な感情を瞬時に呼び覚ましてくれる特別な存在です。何年経っても、イントロが流れただけで胸が高鳴り、自然と口ずさんでしまう。それこそが、私たちにとっての「青春ソング」が持つ、色褪せることのない魅力なのでしょう。
同い年の有名人や美人芸能人
1979年生まれには、様々な分野で時代を築き、今なお第一線で活躍し続けるスターが数多くいます。アイドル、俳優、モデル、ミュージシャン、お笑い芸人など、テレビや雑誌、ステージで彼らの輝きを目にするたびに、同世代として誇らしい気持ちになったり、親近感を覚えたりした方も多いのではないでしょうか。
ここでは、綺羅星のごとく存在する1979年生まれの代表的な有名人・芸能人を、ジャンル別にご紹介します。
俳優・女優・モデル
この世代は、実力と華やかさを兼ね備えた俳優・女優が非常に豊富です。ドラマや映画で主演を務める仲間由紀恵さん、国仲涼子さん、中越典子さん、奥菜恵さんなど、数多くの名女優がいます。
また、個性派俳優として独自の地位を築いた窪塚洋介さんもこの世代です。ファッションアイコンとしては、雑誌『CanCam』の専属モデルとして一世を風靡した蛯原友里さんと押切もえさんの存在が欠かせません。彼女たちのファッションやライフスタイルは、多くの同性にとって憧れの的でした。
ミュージシャン・アイドル
音楽界では、CDデビュー以来、常にトップを走り続けるスーパーデュオKinKi Kids(堂本光一さん、堂本剛さん)が、この世代の象徴的な存在です。
また、V6のメンバーとして活躍した森田剛さん、三宅健さんも同学年。Dragon Ashのフロントマンである降谷建志さんや、CHEMISTRYの川畑要さんなど、日本の音楽シーンに大きな影響を与えたアーティストが名を連ねます。
名前 | 職業 | 誕生日 |
---|---|---|
堂本光一 (KinKi Kids) | アイドル・歌手 | 1月1日 |
川島明 (麒麟) | お笑い芸人 | 2月3日 |
春日俊彰 (オードリー) | お笑い芸人 | 2月9日 |
森田剛 (元V6) | 俳優・元アイドル | 2月20日 |
堂本剛 (KinKi Kids) | アイドル・歌手 | 4月10日 |
窪塚洋介 | 俳優 | 5月7日 |
国仲涼子 | 女優 | 6月9日 |
三宅健 (元V6) | 俳優・歌手 | 7月2日 |
奥菜恵 | 女優 | 8月6日 |
蛯原友里 | モデル | 10月3日 |
仲間由紀恵 | 女優 | 10月30日 |
押切もえ | モデル | 12月29日 |
中越典子 | 女優 | 12月31日 |
本当に錚々たるメンバーですよね!ここに挙げた方々以外にも、俳優の上地雄輔さん、和田正人さん、アナウンサーの高島彩さん、歌手の伴都美子さん(Do As Infinity)など、数えきれないほどの才能がこの年に生まれています。同い年の活躍は、今も昔も私たちの大きな励みになります。
黄金世代と呼ばれたプロ野球・サッカー選手
1979年生まれは、日本のスポーツ史、特にサッカーと野球において、非常に重要かつ興味深い世代として記憶されています。
同じ年に生まれながらも、競技によってその世代の呼ばれ方が対照的であったことは、この世代を語る上で欠かせない特徴です。
日本サッカーの未来を変えた「黄金世代」
サッカー界において、この世代は紛れもなく「黄金世代(ゴールデンエイジ)」と呼ばれ、特別な輝きを放っています。
その象徴的な存在が、類まれな才能で「天才」と称されたMF・小野伸二選手です。彼を中心としたU-20日本代表は、1999年にナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権(現・FIFA U-20ワールドカップ)で準優勝という、日本サッカー史上初の快挙を成し遂げました。
この快進撃は日本中を熱狂させ、日本サッカーの未来が大きく変わる瞬間でした。
黄金世代の主なサッカー選手
彼らの多くが日本代表の中核を担い、海外のビッグクラブでも活躍しました。
- 小野伸二(元フェイエノールト、浦和レッズほか)
- 稲本潤一(元アーセナル、ガンバ大阪ほか)
- 高原直泰(元ハンブルガーSV、ジュビロ磐田ほか)
- 遠藤保仁(元ガンバ大阪ほか)
- 中田浩二(元マルセイユ、鹿島アントラーズほか)
- 小笠原満男(元鹿島アントラーズほか)
彼らが示した世界レベルでの活躍は、後の世代の選手たちに大きな夢と目標を与え、日本サッカー全体のレベルを劇的に引き上げる原動力となったのです。
個性派が揃ったプロ野球界の「谷間の世代」
一方で、プロ野球界では、前後の世代にあまりにも偉大なスーパースターが存在したため、「谷間の世代」と表現されることがありました。
前には松井秀喜選手・イチロー選手(1973年生まれ)らが、後には「松坂世代」と呼ばれる怪物・松坂大輔選手(1980年生まれ)らがいたためです。しかし、この世代からも球史にその名を刻む、数多くの個性豊かな名選手が誕生しています。
その筆頭は、読売ジャイアンツで長年にわたり主将・正捕手としてチームを牽引し、引退後には監督も務めた阿部慎之助選手です。また、豪速球を武器に日米のプロ野球で活躍したリリーフエースの五十嵐亮太選手や、阪神タイガースの左のエースとして長年君臨した能見篤史選手など、記憶に残るプレーでファンを魅了した選手たちが揃っています。
彼らは、派手な称号はなくとも、プロの世界で長く生き抜く確かな実力と強い精神力を証明しました。
まとめ:やっぱり共感できる1979年生まれあるある
この記事では、1979年(昭和54年)生まれの方々のための「あるある」を、時代背景から文化、音楽、有名人まで、記憶を呼び覚ます様々な角度から深く掘り下げてきました。激動の時代に生まれ、J-POP全盛の多感な時期を過ごし、就職氷河期という厳しい現実を乗り越えてきた私たち。
最後に、この記事でご紹介したポイントを一覧でまとめます。
- 1979年は第二次石油危機や初の東京サミットが開催された激動の年であった
- 流行語には若者文化を象徴する「ナウい」「ダサい」などが生まれた
- 干支は「己未(つちのとひつじ)」で、穏やかさと協調性、内に秘めた強さが特徴
- バブル崩壊後の「就職氷D-D-期世代(ロストジェネレーション)」でもある
- 学歴は中学卒業が1995年、高校卒業が1998年、4年制大学卒業が2002年
- 社会現象となった「スペースインベーダー」や音楽文化を変えた「ウォークマン」が登場
- 音楽シーンでは「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」や「関白宣言」などが大ヒットを記録
- 中学時代はJ-POP黄金期で、ドラマ主題歌を中心にミリオンセラーが連発された
- 米米CLUBの「君がいるだけで」やMr.Childrenの楽曲が流行の中心だった
- カラオケの青春ソングでは「残酷な天使のテーゼ」「サウダージ」などが定番
- 有名人にはKinKi Kidsの二人や仲間由紀恵、国仲涼子などスターが多数存在
- 美人女優やモデルとして蛯原友里、押切もえなどがファッションアイコンとなった
- サッカー界では小野伸二選手を中心とする「黄金世代」が世界準優勝の快挙
- プロ野球界では阿部慎之助選手など「谷間の世代」から多くの名選手が輩出された
- 厳しい時代を共有し乗り越えてきたからこその強い絆と共感がこの世代にはある