「1975年生まれはやばい」という言葉を目にして、ご自身の世代について調べているのではないでしょうか。なぜそのように言われるのか、具体的な理由を知りたいと感じているかもしれません。
確かに、1975年生まれの方々が歩んできた道のりには、他の世代が経験しなかった特有の社会的な背景がありました。この記事では、1975年生まれがどんな世代で、何世代と呼ばれているのかを詳しく解説します。
就職氷河期世代やポスト団塊ジュニア世代の特徴に触れながら、激動の時代に何があったのかを振り返ります。また、卯年生まれの干支 性格や、懐かしいあるあるネタ、そして苦難を乗り越えて活躍する有名人 芸能人やプロ野球 サッカー選手もご紹介します。
履歴書作成時に役立つ中学校 高校 大学の卒業年度といった実用的な情報も網羅し、1975年生まれという世代の本当の姿に迫ります。
- 1975年生まれが「やばい」「不運」と言われる歴史的背景
- 世代ならではの強みや共通する特徴
- 数多くの有名人やアスリートに見る世代の活躍
- 世代特有のあるあるや履歴書の学歴
1975年生まれはやばいと言われる3つの理由
- 1975年前後に社会では何があったのか
- 就職氷河期世代とポスト団塊ジュニア世代の特徴
- 結局どんな世代で何世代と呼ばれている?
- アナログとデジタルを知る世代の大きな特徴
- 卯年の干支と性格からみるパーソナリティ
- 懐かしい!ビックリマンなど幼少期のあるある
1975年前後に社会では何があったのか
1975年生まれの方々が世に出た時代は、日本だけでなく世界的にも大きな転換期を迎えていました。この世代がなぜ特有の経験をしたのかを深く理解するためには、当時の社会背景を多角的に知ることが不可欠です。単なる年表上の出来事だけでなく、その時代の空気感が彼らの価値観の土台を形成しています。
国内の経済状況に目を向けると、1973年の第一次オイルショックによる狂乱物価の記憶がまだ生々しく、日本経済は高度経済成長の終焉を迎え、「安定成長」という新たなフェーズへと移行していました。
人々は物質的な豊かさを手に入れ始めましたが、それはかつてのような右肩上がりの成長が約束されたものではなく、どこか手探りの安定でした。文化面では、山口百恵さんやピンク・レディーといったスターが生まれ、テレビがお茶の間の中心で絶大な影響力を持つ黄金時代でした。歌番組やバラエティが日々の娯楽を提供し、家族団らんの象徴でもあったのです。
一方、世界情勢はさらにダイナミックに動いていました。1975年4月30日のサイゴン陥落によるベトナム戦争の終結は、冷戦構造下での大きな転換点となり、世界のパワーバランスに影響を与えました。また、同年5月にはイギリスのエリザベス女王が史上初めて日本を公式訪問し、日本が国際社会において重要な一員であることを象徴する出来事として大々的に報じられました。
そして、テクノロジーの分野では、後に世界を席巻するマイクロソフト社がビル・ゲイツとポール・アレンによって設立されたことも忘れてはなりません。この小さな出来事が、1975年生まれが成人する頃に始まるIT革命の序章となったのです。
豆知識:1975年のヒット曲や流行
ちなみに1975年は、歌謡曲が全盛を極め、オリコン年間シングルランキングでは「昭和枯れすゝき」(さくらと一郎)が1位、「シクラメンのかほり」(布施明)が2位を記録しました。ファッションにおいては、ジーンズがカジュアルウェアとして定着し、ベルボトムパンツやフォークロア調の服装が若者の間で流行しました。これらの文化は、1975年生まれが物心つく頃の社会の雰囲気を色濃く反映しています。
このように、1975年生まれは政治・経済・文化のあらゆる面で「大きな時代の変わり目」に誕生しました。安定と変化が混在する空気の中で育ち、その後の日本の劇的な変化を、まさに当事者として真正面から受け止めていく宿命にあったと言えるでしょう。
就職氷河期世代とポスト団塊ジュニア世代の特徴
1975年生まれを理解する上で避けて通れないのが、「就職氷河期世代」と「ポスト団塊ジュニア世代」という、時代の刻印とも言える2つの側面です。これらは単なるラベリングではなく、この世代の価値観、キャリア観、そして人生設計そのものに計り知れない影響を及ぼしました。
まず「ポスト団塊ジュニア世代」としての特徴から見ていきましょう。これは、1971年から1974年生まれの、第二次ベビーブームの中心である「団塊ジュニア世代」の直後に位置することを意味します。
親世代である団塊の世代(1947年〜1949年生まれ)の子供たちが爆発的に増加した結果、1975年生まれもまた、その熾烈な競争の余波を受け続けました。特に大学受験においては、定員に対して受験者数が非常に多く、現役での合格は狭き門でした。浪人という選択も珍しくなく、若い頃から常にふるいにかけられる感覚を味わってきたのです。
そして、その厳しい競争を勝ち抜いて大学を卒業する1990年代後半、彼らを待ち受けていたのが、日本経済史上でも類を見ないほどの就職難、「就職氷河期」でした。厚生労働省も特設サイトで支援を行うほど、この問題は根深く社会に影響を与えています。
バブル経済が弾けた後、多くの企業は経営体力を立て直すために新卒採用を大幅に削減。求人倍率は極端に低下し、何十社とエントリーしても内定が一つも得られない学生が続出しました。その結果、本来であれば正社員として活躍できたはずの多くの若者が、非正規雇用(派遣社員、契約社員、アルバイト)という不安定なキャリアからスタートせざるを得なかったのです。
就職氷河期世代の主な特徴
- 強い安定志向と現実主義:「会社は守ってくれない」という原体験から、終身雇用を信じず、公務員や安定した大企業への志向が強い。一方で、自らの力で生き抜く現実的な視点も持つ。
- 自己投資への高い意識:会社への帰属意識が低い分、自身の市場価値を高めるための資格取得やスキルアップに積極的。
- 真面目でストイックな仕事観:厳しい就職活動を乗り越えた経験から、仕事に対して真摯で、与えられた役割を粘り強くこなす傾向がある。
- シビアなコスト意識:企業の経費削減が叫ばれる中で社会人になったため、無駄を嫌い、費用対効果を重視するシビアな金銭感覚を持つ。
これらの経験は、1975年生まれに他の世代とは一線を画す独特の価値観を植え付けました。社会の厳しい現実にもまれ、自己責任という言葉の重圧を感じながらも、自分の力で道を切り拓くサバイバル能力を否応なく身につけさせられた世代と言えるでしょう。
結局どんな世代で何世代と呼ばれている?
1975年生まれは、複数の世代名で呼ばれることがあり、どの視点から見るかによってその位置づけやニュアンスが異なります。ここでは、国内外で用いられる代表的な世代区分を整理し、それぞれの意味合いを掘り下げていきます。
日本国内で最も広く浸透している呼称は、前述の通り「就職氷河期世代」や「ポスト団塊ジュニア世代」です。これらは、日本の特異な社会経済状況を背景にした区分であり、この世代が経験した困難を象徴しています。特に「失われた世代」や「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」という言葉は、バブル崩壊後の「失われた20年(または30年)」と呼ばれる経済停滞期に社会人としてのキャリアをスタートさせたことによる、機会損失の大きさを物語っています。
一方で、グローバルな視点、特にアメリカの世代区分を参考にすると、1975年生まれは「Y世代(ジェネレーションY)」または「ミレニアル世代」の最も初期の層に分類されます。Y世代は、一般的に1980年代初頭から1990年代中盤生まれを指しますが、その特徴である「IT革命と共に成長し、デジタル技術に適応していった最初の世代」という点において、1975年生まれはその先駆け的な存在と見なすことができます。
さらに、その前の世代である「X世代」(1965年〜1980年頃生まれ)の要素も併せ持っているという見方もあります。X世代は、個人主義や多様な価値観が芽生え始め、既存の権威に対して冷めた視点を持つ世代です。1975年生まれは、X世代の持つ個人主義的な気質と、Y世代の持つデジタルへの適応能力の双方を兼ね備えた、まさに世代間のブリッジ(橋渡し)的な存在なのです。
世代名 | 対象年代(目安) | 主な特徴や時代背景 |
---|---|---|
ポスト団塊ジュニア世代 | 1975年~1979年頃 | 団塊ジュニアの直後。人口は多いが、社会的な注目度は比較的低かった。 |
就職氷河期世代 | 1970年~1984年頃 | バブル崩壊後の深刻な不況で、正規雇用の機会を逃した人が多い。 |
Y世代(ミレニアル世代) | 1980年代初頭~1990年代中盤 | インターネットや携帯電話の普及と共に育ち、デジタルネイティブの先駆け。1975年生まれは最年長層にあたる。 |
X世代 | 1965年~1980年頃 | 親世代の価値観に反発し、個人を重視する傾向。1975年生まれは最も若い層にあたる。 |
このように、1975年生まれは複数の世代の性質をグラデーションのように併せ持つ、極めてユニークな立ち位置にいる世代と言えます。どの特徴が自身に最も当てはまるか、ご自身の経験と照らし合わせてみるのも興味深いかもしれません。
アナログとデジタルを知る世代の大きな特徴
1975年生まれの最大かつ最もユニークな特徴は、「アナログとデジタルの両方の世界をネイティブに近い感覚で理解している」という点にあります。これは、人類の歴史上でも稀有な、テクノロジーの断絶と融合をまさに人生のど真ん中で体験した世代だからです。
彼らが過ごした幼少期から青年期は、完全にアナログの時代でした。家庭にはダイヤル式の黒電話があり、友人との長電話は親の目を気にしながらするものでした。好きな音楽は、レコードやカセットテープに録音し、A面からB面にひっくり返す手間も楽しみの一つでした。情報はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌といったマスメディアから得るのが主流で、その信憑性を疑うことはほとんどありませんでした。このアナログな時代は、コミュニケーションに時間と手間がかかる分、一つ一つの繋がりの重みや、手触りのある文化を育みました。
しかし、彼らが成人し社会に出る頃、世界は一変します。数字でメッセージを送る「ポケットベル(ポケベル)」がコミュニケーションの形を変え、その後すぐに「携帯電話(ガラケー)」が登場。そして1995年のWindows 95の発売を機に、インターネットが爆発的に普及し始めました。
彼らは社会人として働きながら、手探りでパソコンの使い方を覚え、Eメールでのやり取りやウェブサイトでの情報収集といった、全く新しいスキルを習得する必要に迫られたのです。
アナログとデジタルのバイリンガル世代
この経験により、1975年生まれは以下のようなバイリンガル的な能力を自然と身につけました。
- ワープロで卒業論文を書き上げ、社会人になってからブラインドタッチとExcelを習得した。
- 駅の伝言板を使った待ち合わせの不便さと、LINEでリアルタイムに位置情報を共有できる便利さの両方を実感として知っている。
- レコードの温かみのある音、CDのクリアな音質、そしてサブスクリプションサービスの膨大なライブラリという、音楽メディアの変遷をすべて体験した。
つまり、デジタル化以前のコミュニケーションの機微や文化的な背景を理解している一方で、現代のデジタルツールも当たり前のように使いこなすことができます。この両方の世界の言語と文化を理解できる能力は、多様な価値観が混在する現代社会において、他の世代にはない極めて大きな強みと言えるでしょう。
この経験は、仕事やプライベートな人間関係において、例えばZ世代の若者と団塊の世代の上司との間で、双方の考え方を翻訳し、円滑なコミュニケーションを促すブリッジ役として、非常に貴重な役割を果たすことにつながっています。
卯年の干支と性格からみるパーソナリティ
1975年生まれの干支は「卯(うさぎ)」です。古くから伝わる干支占いの観点から見ると、卯年生まれの人は、その穏やかなイメージ通り、優しく平和主義的な性格を持つとされています。特に1975年は、十干と十二支を組み合わせた六十干支でいうと「乙卯(きのとう)」の年にあたります。「乙」は草花を象徴し、柔軟性や協調性を意味するため、より温和で人当たりの良い性質が強調される年回りです。
卯年生まれの人の性格には、一般的に以下のような長所と短所が見られます。
長所:周囲を和ませる天性のサポーター
- 温厚で社交的:基本的に争い事を好まず、誰に対しても穏やかに接することができます。その物腰の柔らかさと愛嬌から、特に目上の人から可愛がられ、支援を受けやすいという特徴があります。
- 優れた聞き上手:自分が話すよりも相手の話を丁寧に聞くことを得意とし、共感力も高いため、多くの人から相談相手として信頼されます。
- 内に秘めた努力と粘り強さ:一見するとおっとりしていますが、一度目標を定めると、その達成のために地道な努力をこつこつと続けられる芯の強さを持っています。
- 豊かな感受性と美的センス:繊細な感受性を持ち、芸術やデザイン、ファッションといった分野で優れた才能を発揮することがあります。美しいものに囲まれることで心が安らぎます。
短所・注意点:優しさゆえの葛藤
- 自己主張が苦手:周囲との調和を何よりも重んじるため、自分の意見や本音を抑え込んでしまう傾向があります。その結果、ストレスを溜め込みやすくなります。
- 繊細で傷つきやすい心:他人の言動や評価に敏感で、些細なことで傷ついてしまうことがあります。自己防衛本能が強く働き、心を閉ざしてしまうことも。
- 優柔不断と流されやすさ:平和を望む気持ちが強すぎるあまり、決断を迫られる場面で迷ったり、周りの強い意見に流されてしまったりすることがあります。
もちろん、これらはあくまで統計的な占いの傾向であり、すべての人が当てはまるわけではありません。しかし、うさぎが「安全」や「飛躍」の象徴とされることからも、この世代が持つ穏やかさと、困難な時代を乗り越えてきた粘り強さや飛躍のポテンシャルは、卯年という干支の性質と深く通じる部分があるのかもしれません。
懐かしい!ビックリマンなど幼少期のあるある
1975年生まれの方々が多感な小学生から高校生時代を過ごした1980年代から1990年代初頭は、今振り返ると非常にユニークで熱量の高いカルチャーが次々と生まれた時代でした。ここでは、同世代なら思わず「あった、あった!」と膝を打つような、懐かしい流行や”あるある”ネタを、当時の空気感と共にご紹介します。
同世代で集まると、当時のアニメやアイドル、流行ったおもちゃの話だけで何時間も語れますよね!今では信じられないようなブームもたくさんありました。
小学生時代(1980年代中盤):熱狂と収集の時代
- 男子の社会現象となったビックリマンシール集め。お小遣いの大半をつぎ込み、キラキラのヘッドシール(特にスーパーゼウス!)を当てるために箱買い。チョコは食べきれずに冷凍庫へ、という光景が日常でした。
- 女子の憧れはシルバニアファミリー。精巧なミニチュアの家具や人形を集め、自分だけの世界を作ることに夢中になりました。また、「けろけろけろっぴ」や「みんなのたあ坊」などサンリオキャラクターの文房具はステータスでした。
- 家庭用ゲーム機の王様は、間違いなく任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)。「スーパーマリオブラザーズ」の無限1UP技を試し、「ドラゴンクエスト」の復活の呪文を書き間違えて絶望するのは誰もが通る道でした。
- テレビアニメの黄金期でもあり、「タッチ」「機動戦士Zガンダム」「北斗の拳」「ハイスクール奇面組」など、今なお語り継がれる名作が毎日のように放送されていました。
中学生時代(1980年代後半):自我と音楽への目覚め
- 通学のお供はSONYのウォークマン。好きな曲を詰め込んだオリジナルカセットテープの編集に命をかけ、曲順や曲間にこだわりました。
- アイドル界では光GENJIが頂点に君臨。彼らに憧れてローラースケートを練習した人も少なくないでしょう。女子は工藤静香さんのヘアスタイルやファッションを真似ていました。
- ファッションでは、ケミカルウォッシュやストーンウォッシュのジーンズが大流行。裾をきれいに折り返して履くのが”イケてる”証でした。
- 少し背伸びして「魁!!男塾」や「美味しんぼ」といった大人びたテーマのアニメや漫画に触れ、社会の複雑さを学び始めました。
高校生時代(1990年代初頭):J-POPミリオンセラーの時代
- カラオケボックスが普及し始め、CHAGE and ASKAの「SAY YES」や小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、KANの「愛は勝つ」といった”トレンディドラマ”主題歌がミリオンセラーを連発。誰もが歌える国民的ヒット曲が次々と生まれました。
- ファッションは、アメリカのロックシーンから影響を受けたグランジファッションが流行の兆しを見せ、チェックのネルシャツやダメージジーンズがクールとされました。
- 女子高生ブームやコギャル文化が到来する直前の、最後の”純朴な”時代。まだルーズソックスは登場しておらず、制服は比較的きちっと着こなしていました。
これらの色褪せない共通体験は、デジタルでは得難いリアルな繋がりと共感を育み、1975年生まれという世代のアイデンティティを形成する上で、今なお大切な心の拠り所となっているのではないでしょうか。
1975年生まれはやばいほど多彩な才能が集結
- 苦難を乗り越えた有名人・芸能人を一挙紹介
- 記憶に残るプロ野球 サッカー選手たち
- 履歴書作成に便利な中学校・高校・大学の卒業年
- 総括:1975年生まれはやばいとは言えない!
苦難を乗り越えた有名人・芸能人を一挙紹介
「不運な世代」「失われた世代」といったネガティブなイメージがある一方で、1975年生まれには各界で目覚ましい活躍を遂げ、トップランナーとして走り続けている有名人・芸能人が非常に多く存在します。彼らの輝かしい功績は、この世代が逆境を乗り越える強さと、豊かな才能を秘めていることの何よりの証明です。ここでは、そのほんの一部をジャンル別にご紹介します。
俳優・女優:男女ともにトップスターが勢揃い
テレビドラマや映画界において、長年にわたり主演を務める実力派がこの世代を牽引しています。視聴率女王として知られる米倉涼子さん、ワイルドな役から繊細な役までこなす伊藤英明さん、デビュー当時から透明感を失わない内田有紀さん、近年は焙煎士としても活躍の場を広げる坂口憲二さん、そしてクールビューティーの代名詞である吉瀬美智子さんなど、今なお日本のエンターテインメント界に欠かせない存在です。
ミュージシャン:個性豊かなカリスマたち
独自の音楽性と世界観で、多くのファンを魅了し続けるカリスマアーティストが多数います。「恋愛ソングの神様」として絶大な支持を得るシンガーソングライターのaikoさん、ロックな生き様が魅力の相川七瀬さん、ゆるい脱力感で一世を風靡したPUFFYの吉村由美さん、そしてEXILEの創成期を支えたパフォーマーであるMAKIDAIさんや松本利夫さんなど、J-POPシーンに大きな足跡を残しています。
お笑いタレント:バラエティ界の中核を担う才能
現在のお笑い界を支える、実力と人気を兼ね備えたタレントも豊富です。チュートリアルの徳井義実さん、フットボールアワーの岩尾望さん、アンタッチャブルの柴田英嗣さんといった人気コンビの一角や、ものまねタレントの原口あきまささん、そして芸人としてだけでなく、脚本家、俳優、ナレーターとしてマルチな才能を発揮するバカリズムさんなど、まさに才能の宝庫です。
その他・文化人:ジャンルを超えて時代を創る人々
エンタメの世界にとどまらず、さまざまな分野で時代を創り出している才能もいます。日本を代表する漫画としてギネス世界記録にも認定された『ONE PIECE』の作者である尾田栄一郎さん、タレントとしてだけでなく良き家庭人としても知られるつるの剛士さん、独自の視点で社会を斬るミッツ・マングローブさん、そして驚異的な的中率で人気の占い師ゲッターズ飯田さんなども1975年生まれです。
ジャンル | 氏名 | 代表的な活動・作品 |
---|---|---|
俳優・女優 | 米倉 涼子 | ドラマ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』シリーズ |
伊藤 英明 | 映画『海猿』シリーズ、ドラマ『悪の教典』 | |
内田 有紀 | ドラマ『ドクターX』、歌手としても活躍 | |
坂口 憲二 | ドラマ『医龍-Team Medical Dragon-』、コーヒー焙煎士 | |
ミュージシャン | aiko | 『カブトムシ』『花火』など多数のヒット曲 |
相川 七瀬 | 『夢見る少女じゃいられない』 | |
吉村 由美 (PUFFY) | 『アジアの純真』『これが私の生きる道』 | |
MAKIDAI (EXILE) | EXILEのパフォーマー、DJ | |
お笑いタレント | 徳井 義実 (チュートリアル) | M-1グランプリ2006王者 |
バカリズム | 脚本家(『ブラッシュアップライフ』)、俳優、司会者 | |
柴田 英嗣 (アンタッチャブル) | M-1グランプリ2004王者 | |
原口 あきまさ | 明石家さんまなどのものまねで人気 | |
文化人 | 尾田 栄一郎 (漫画家) | 『ONE PIECE』の作者 |
ゲッターズ 飯田 (占い師) | 独自の「五星三心占い」で人気 |
これらの方々の華々しい活躍を見れば、1975年生まれが決して「やばい」だけの世代ではなく、厳しい競争と社会の逆境を自らの力で跳ね返し、輝かしい功績を収めてきた、非常にパワフルで才能豊かな世代であることが明確にわかります。
記憶に残るプロ野球 サッカー選手たち
1975年生まれは、エンターテインメント界だけでなくスポーツ界、特に国民的人気を誇るプロ野球とサッカーの世界で、一時代を築いたレジェンド級の名選手を数多く輩出しています。彼らが残した劇的なプレーの数々は、同世代だけでなく多くのファンの記憶に深く刻まれています。
プロ野球界:「松坂世代」を前に輝いた黄金世代
1998年に甲子園を沸かせた「松坂世代」が登場する少し前、1975年生まれの世代もまた、球史にその名を刻むスター選手が揃っていました。
PL学園高校から西武ライオンズに入団し、日本人内野手としてメジャーリーグでも活躍したスイッチヒッター松井稼頭央さん。東京六大学野球のスターとして慶應義塾大学から読売ジャイアンツに入団し、「ウルフ」の愛称で親しまれた天才打者高橋由伸さん。そして、大学、社会人を経てプロ入りし、日米で「雑草魂」を胸に活躍した上原浩治さんなどがその代表格です。
彼らは、高いレベルで安定した成績を残し、長きにわたってそれぞれのチームを象徴する存在でした。
また、NPB公式サイトの記録にもある通り、2000本安打を達成した千葉ロッテマリーンズの”幕張の安打製造機”福浦和也さんや、中日ドラゴンズの黄金期を支えた守備の名手井端弘和さんなど、派手さだけでなく玄人好みの名選手が多いのもこの世代の特徴です。
サッカー界:国内外のレジェンドたち
サッカー界では、日本代表が初めてワールドカップの舞台に立った1998年前後の代表チームを支えた選手が目立ちます。「炎の守護神」として語り継がれる数々のスーパーセーブで、日本のゴールマウスを守り続けた川口能活さん。DFリーダーとして最終ラインを統率した森岡隆三さん、そして鹿児島実業高校時代から将来を嘱望されたストライカーの城彰二さんなど、日本のサッカーファンにとって忘れられない名前が並びます。海外に目を向ければ、その人気と実力で世界を熱狂させた元イングランド代表の貴公子、デビッド・ベッカム選手も1975年生まれです。彼の正確無比なフリーキックは、世界中のサッカー少年の憧れでした。
競技 | 選手名 | 主な実績・特筆事項 |
---|---|---|
プロ野球 | 上原 浩治 | 元メジャーリーガー(ワールドシリーズ胴上げ投手)、沢村賞、最多勝など多数受賞 |
高橋 由伸 | 元読売ジャイアンツ監督、通算321本塁打、ゴールデングラブ賞7回 | |
松井 稼頭央 | 元メジャーリーガー、盗塁王3回、最多安打2回、現・埼玉西武ライオンズ監督 | |
井端 弘和 | 元中日ドラゴンズ、ゴールデングラブ賞7回、現・野球日本代表「侍ジャパン」監督 | |
サッカー | デビッド・ベッカム | 元イングランド代表主将、マンチェスター・ユナイテッド、レアル・マドリードなどで活躍 |
川口 能活 | 元日本代表GK、国際Aマッチ出場116試合(GK歴代最多) | |
城 彰二 | 元日本代表FW、1998年W杯フランス大会で日本人初のアシストを記録 | |
エルナン・クレスポ | 元アルゼンチン代表FW、セリエA得点王、ラツィオやインテルなどで活躍 | |
テニス | 杉山 愛 | 元女子プロテニス選手、4大大会ダブルスで3度の優勝、WTAランキング自己最高シングルス8位 |
ゴルフ | タイガー・ウッズ | プロゴルファー、メジャー選手権通算15勝(歴代2位)、生涯獲得賞金ランク1位 |
これらの偉大なアスリートたちが、極めて競争の激しいプロの世界でトップに立ち、長年にわたって輝き続けられたのは、就職氷河期という厳しい競争社会を勝ち抜いてきた世代特有の精神的な強さと、決して無関係ではないのかもしれません。
履歴書作成に便利な中学校・高校・大学の卒業年
1975年生まれの方が転職や再就職などで履歴書を作成する際、意外と正確に思い出すのが難しいのが学歴の卒業年度です。特に和暦と西暦の変換は間違いやすいポイントです。ここでは、そのような手間を省けるよう、生年月日別に卒業年度を分かりやすく一覧表にまとめました。コピー&ペーストやスクリーンショットなどで保存しておくと便利です。ぜひご活用ください。
以下の表は、1975年(昭和50年)4月2日から1976年(昭和51年)4月1日生まれの方を対象としています。ご自身の生年月日と照らし合わせてご確認ください。
学歴 | 入学年 | 卒業年(西暦) | 卒業年(和暦) | 満年齢 |
---|---|---|---|---|
中学校 | 1988年(昭和63年)4月 | 1991年3月 | 平成3年3月 | 15歳 |
高等学校 | 1991年(平成3年)4月 | 1994年3月 | 平成6年3月 | 18歳 |
短期大学(2年制) | 1994年(平成6年)4月 | 1996年3月 | 平成8年3月 | 20歳 |
専門学校(2年制) | 1994年(平成6年)4月 | 1996年3月 | 平成8年3月 | 20歳 |
4年制大学 | 1994年(平成6年)4月 | 1998年3月 | 平成10年3月 | 22歳 |
早生まれの方の注意点
1975年1月1日から4月1日生まれ(いわゆる早生まれ)の方は、上記の年からそれぞれ1年引いた年が卒業年度となります。
(例:中学校卒業は1990年(平成2年)3月、4年制大学卒業は1997年(平成9年)3月となります)
履歴書は公的な書類ですので、記入する際は間違いのないよう、くれぐれもご注意ください。
年齢を重ねると、過去の出来事を正確に思い出すのは意外と難しいものです。特に、重要な書類作成の際には、このような客観的なデータで事実確認をすることが大切です。この表が、皆様のスムーズな書類作成の一助となれば幸いです。
総括:1975年生まれはやばいとは言えない!
この記事のポイントをまとめます。
- 1975年生まれは第二次ベビーブームの終盤にあたり大学受験が激化した
- 卒業と同時にバブル崩壊後の就職氷河期に直面した
- これらの厳しい社会背景から「不運」や「やばい」世代と言われることがある
- しかしこれは社会経済的な側面から見た一面に過ぎない
- 世代的にはポスト団塊ジュニア世代やY世代の初期にあたる
- 幼少期のアナログな世界と成人後のデジタル社会の両方を経験している
- この経験がアナログとデジタルの橋渡し役という独自の強みになっている
- 干支は乙卯(きのとう)で穏やかで粘り強い性格を持つとされる
- ビックリマンシールやファミコンなど懐かしく熱狂的な共通の思い出を持つ
- 困難な時代を経験したにもかかわらず多くの成功者を輩出している
- 俳優の米倉涼子さんや漫画家の尾田栄一郎さんなどがその代表例
- スポーツ界でも上原浩治さんや川口能活さんなど歴史に残るスター選手が揃う
- 逆境を乗り越えてきた経験が精神的な強さや忍耐力につながっている
- 社会の荒波に揉まれたことで得たスキルや知識は大きな財産である
- 結論として1975年生まれは不運を力に変えてきた粘り強くたくましい世代と言える